Yuri on Iceにおける神殺し。神は死んだら何になる?

神から人へ

 Yuri on Iceは愛の物語であるとともに、神が一人の人間へと戻っていく過程と言えるだろう。その過程の視聴者への伝え方を、主人公である勇利の気づきとリンクさせているのが良い。

 冒頭生ける伝説として登場するヴィクトルはまさに完全無欠の神様として描写される。そもそも名前もvitor+yだしニキフォロフNIKEを含んでいて二重に勝利を運命付けられたキャラクター。だからこそヴィクトルが銀髪でユリオが金髪なのはちょっと意外。多くの人が彼を金メダルの擬人化だって言ってたし、それにはかなり信憑性があるように感じられるから。前髪を長く垂らしてるのも「勝利の女神には前髪しかない」を彷彿とさせるよね。ヴィクトルはハゲちゃうの気にしてるけど笑 

 

f:id:rottenapple1:20180315103513j:plain

 

 最初、勇利にとってのヴィクトルは自分の眼の前に突如現れた信仰する神様。しかし一緒に練習する中勇利はいくつもの発見を通じて彼が人間であるということに気づく。つむじを押されるのを嫌がるところや、自分より体力がないところ。どれも本当に「人」らしい。だからこそ勇利はラストシーズンに懸けている自身だけでなく、ヴィクトルの時間もまた有限なことを認識して、彼ではない神に「ヴィクトルの時間を僕にください」と祈るのだ。この時点でヴィクトルは唯一神ではなく「ヴィクトルはヴィクトルでいてください」と勇利が海岸で言ったように一人の人間となった。

 加えて11話では未だ神としてのヴィクトルに縛られていたユーリ・プリセツキーも神殺しをする。

「ヴィクトル・ニキフォロフは死んだ。」

「うぬぼれんな。スケーターがみんなヴィクトルに憧れてると思うな、さっさといなくなれ、じじい!」

まさに神としてのヴィクトルの死と、この世界のフィギュアスケートにおける唯一神であったヴィクトルへの憧れの否定。己には己が目指すものがあるという宣言はヴィクトルが人となっていく過程での重要な台詞だ。

 

ヴィクトルの未熟さ

 ヴィクトルはこうして人となったが、勇利のヴィクトル像はさらに変化を続ける。転機となるのは中国大会。メンタル崩壊寸前の勇利に対してヴィクトルはなんと「泣かれるのは苦手。キスでもすればいいのか。」とかのたまう。しかもキメ顔で。他のコーチ達の熟練の対応と落ち着いた様子と対比するようにヴィクトルの未熟さが示される。そうヴィクトルは案外未熟で子供なのだ。至上の天才かつ超美形であるが故に無邪気な子供のままで生きることをずっと許されてきたヴィクトルは、教え子の不安一つなだめる事が出来ない。

 おそらく彼のこれまでの恋は2話で勇利が想像したErosの物語と大差ないものだったのだろう。町中の娘を夢中にする残酷な世紀の色男。これは長く苦杯をなめてきた勇利や、無様でも恋人であるアーニャへの思いを演技の糧として昇華したギオルギーとは対照的。だからこそヴィクトルはきっと選手としてもまだまだ成長できるのではないだろうか。人となったヴィクトルの演技の幅は大きく広がるだろうから。

 そして少し話がそれるがこの直後の勇利のセリフ

「黙ってていいから、離れずにそばにいてよ!」

は最高のフラグ回収で鳥肌がたった。しかも二人がラブホから出てきたカップルみたいな雰囲気でこの後帰ってくるときに流れている曲は、ギオルギーの Tale of sleeping prince! しかも歌詞が” I’ll that I’ll save you”とかだし。

 

信頼できない語り手

 そして勇利のヴィクトル観に乗っかって物語を進んできた、私達視聴者に衝撃を与えたのが10話のラスト、前年度のバンケットで酔った勇利がヴィクトルにコーチを持ちかけるシーン。「信頼できない語り手」勇利を最大限生かした脚本には脱帽。語り手としての勇利が信頼できないことは、一話のはじめの「どこにでもいる普通の特別強化選手」(そんな訳ない)でわかってたけど、まさかコーチを依頼してあんなに仲良く踊ったことを有利が酒のせいで忘れているなんて!カメラロールを見せるような演出のエンディングと共に本当に圧倒された。

 YOIの世界は実はそんなに荒唐無稽ではない。100%これはありえないということはそんなにないのだ。10話放映より前に、何もかもが全くありえなくはない設定の中でヴィクトルが長谷津にやってきたことだけが奇跡と言った方がいた気がする。まさにその通り。ただヴィクトルが来たことに勇利の勧誘という明白な原因がある。アニメに描写された春の雪ののような儚い奇跡ではない。全てが解き明かされたわけだ。本当にすごい。つまりここで物語は大きく転換する。町一番の美女勇利が色男ヴィクトルを誘惑するんじゃなくて、色男勇利が町(世界)一番の美女ヴィクトルを口説いてたってことだよね。ひっくり返されたなあ。見事。だからこそ二人が出会いのバンケットで闘牛を模したパソドブレを踊ってるのは最高。自分の前に突然現れた神様、勝利の化身は勇利自らがつかみ取ったものだったのだ。

 

+a 不完全に宿る美

 ところでニキフォロフの名に含まれる勝利の女神ニケといえば、サモトラケのニケが有名。そしてサモトラケのニケはまさに不完全性や欠落が画竜点睛的に美の実現に機能している世界で最も有名な例の一つだよね。Living legendであるヴィクトルは常に完璧を実現してしまうから、こういう不完全に宿る美は一見苦手分野に思える。しかし彼にも欠落があったことが終盤明かされる。Living Legendという二つのLのためにLife, Loveという二つのLを捨てていた。私達が完全な日と信じ込んでいたものは、実は不完全ゆえの美だったわけだ。うまいなあ。