アインとガエリオ:絶望の中で萌える

物語に求めるもの

 人は物語に何を求めるのだろうか。悲劇、喜劇、風刺、教訓、様々な種類の数知れない物語がこれまで綴られてきたわけだが、源氏物語の時代から今日のラノベに至るまで一貫して物語が追ってきた役割は「夢の世界を見せること」だと言えるだろう。そして特に30分間の短い映像という気楽な形で消費可能なアニメには、辛い現実を生きる人間に少しの希望を提示するという役目がある。勉強に疲れて一休みしたいとき、くたくたに疲れた会社帰り、小さな画面の中に見える青春や希望に浸って心を休めた経験がある人は多いのではないか。しかし鉄血のオルフェンズは違う。登場人物はバンバン死ぬしときに死ぬより残酷な目にも遭う。ウザい敵は案外死なないしいい男はすぐに死んでしまう。それでも私はこの世界が好きだった。

夢のない物語

 ただ私がこの世界を好きで入られたのは、ひとえに私がこの世界における特権階級側を愛したからに過ぎない。そもそも私は大体の作品のおいて、主人公ではなく二番手やライバルを好きになる。ヴィクトルよりもユーリ、誠凛よりも海常と陽泉、烏野よりも青城。だから今回も既得権益であるギャラルホルン側のガエリオとアインを好きになった当初は、また推しが死ぬのかと絶望していた。ところがどっこい、この世界に夢はない。現実と同じく富める者はますます豊かに、貧しい者はますます貧しく。回を追うごとにこの世界のルールが見えてきた時は背筋が寒くなったほどの徹底っぷりだった。おそらく私が三日月とオルガを好きになっていたら、この作品を最後まで見るなんてことは到底無理だっただろう。

それでも萌える

 私はガエリオ・ボードウィンが大好きだ。ガエリオアイン・ダルトンとの関係性も大好きだ。彼らは私の主従萌え、というか貴族のお坊ちゃんと庶民(差別される側)萌の性癖にクリーンヒットなのだ。アインがガエリオを特務三佐と呼ぶのも愛しいし、アインが出自ゆえ差別された経験を話した時にガエリオがムッとするところなんて本当にグッとくる。

 でもこの二人の終着点もまた悲しかな、どうやっても悲劇だ。生育環境と生来の性格が合わさった結果、アインは盲信的で恩人であるクランク二尉の死に囚われたまま。クランク二尉自身もアインが自分の仇を討って死ぬことなんて望んでいなかったことはアインにもわかっていたはずなのに、彼は復讐から逃れられない。

二度の献身

 それでも、クランク二尉の死に囚われつつもなお、アインはガエリオのことを身を挺して二度救った。作中どうしてアインがガエリオをかばうシーンは二度も描かれたのだろうか。アインを阿頼耶識によりグレイズアインの一部とする残酷な展開の布石ならばこれは一度で良かったはずだ。初回はガエリオ有利のまま途中で邪魔が入って手打ちだって良かった。だからこそアインに二度もガエリオを救わせたことには意味があるのだろう。正直まだそれが何なのかははっきりとはわかっていない。二人の間の絆の強調か、三日月の強さの誇示か。ただアインがガエリオのために身を挺するキャラクターであるということははっきり間違いなく示された。

アインにとってのガエリオ

 ガエリオはアインにとって、クランク二尉以外で初めて自分を火星の出身ということで差別せず遇してくれた人。それもギャラルホルン中枢の貴族中の貴族なのに。そして自分の敵討ちにも理解を示し力を貸してくれた人、彼の言葉を借りれば立ち上がる足をくれた人でもある。

 このような経緯を踏まえれば彼がガエリオに好意を持つのは当然のことだ。しかしいくら大恩あるとは言っても、足をくれた人のために、盾となり自分が足を失ったアインの運命はあまりにも悲惨だ。持たざる者に徹底的に残酷な運命が訪れる鉄血の世界のルールゆえ、アインの悲劇は続く。アインはグレイズアインの一部とされ、足に加えて両腕も遂には名誉や尊厳も失ったのだ。

残酷な仕打ち

 そしてアイン・ダルトンという男は明朗快活で少し世間知らずなガエリオ・ボードウィンの運命を決定的に支配することになる。延命と機能回復のための阿頼耶識の施術は彼から両腕をも奪い、彼はコックピットの中でのみ生き合成音声で語る機械の一部となった。ここに至るまでのガエリオの葛藤、そしてアインの実情を知った時の彼の表情は筆舌に尽くしがたい。自分のために全てを失った者にそれでもまだ「自分と出会えたことで人生は幸運なものであった」と述べられたガエリオは一体どんな気分だったのだろう。ああ、そして機体の一部となったアインは、どうして初めてボードウィン特務三佐ではなく’ガエリオ’特務三佐と呼んだのだろう。もはや彼はアインではないというメッセージか。自我はある程度残った上でガエリオへの気持ちの変化を表しているのか。それとも理性が弱まったことでアインがそれまで心の中で読んでいた呼び方で呼んでいるのか。腐女子的には後二者を推したいところだが。

体は失おうとも

 そしてグレイズアインの敗北後、アインは今度は擬似阿頼耶識の部品として使われることになる。このシステムにおいて用いるのは普通の訓練を受けたこともないような人間の脳ではダメなのだ。なぜならこのシステムにおいてはパイロットに許されるのは標的指定等のみ。システムの能力を最大限発揮することを望むならば、戦闘は阿頼耶識手術を行った脳の持ち主に任せねばならない。それゆえこのシステムは諸刃の剣だ。普通の子供の脳をつないでも身体的負担を回避できることに変わりはないが、もともとパイロットとして熱心に訓練した下地があり、阿頼耶識に繋がれた後も強敵と渡り合ったアインの脳だからこそ強さを発揮できた。(私は勝手にアインとガエリオの間の絆も重要だったと思っている。)

 アインの脳を利用して0ダメージで阿頼耶識の力を得たガエリオについては、死者にムチ打つ行為であり、アインを単に道具として利用しているに過ぎず残酷であるという意見もある。しかし私はそうは思わない。ガエリオは戦闘をアインに委ねる時「さあ好きなように使え。俺の体をお前に明け渡す!」と叫んだ。元より持たざる者の運命が苛烈で残酷なのはこの鉄血の世界では当たり前の事。ガエリオに正義があったとは思わないし、彼とて既得権益の一部であり時に搾取者であったとは思う。それでも誰がなんと言おうとも彼らはずっと二人だったのだから。