愛と熱情:天才ユーリプリセツキーの物語

 

 

ユーリのプログラム

 各々の選手には物語があり、その物語の発露とも言えるのがフィギュアスケートにおいてはプログラムだ。そして選手個人の長いようで短い物語の中に、時にスケートの歴史という長い物語の中に、燦然と輝くプログラムが現れる。点数として記録に残るものもあれば、演技自体として記憶に残るものもある。両方を兼ね備えたものもあるだろう。羽生選手のニースの世界選手権でのロミオとジュリエットソチ五輪での浅田選手のラフマニノフ、そして平昌五輪でのSEIMEIなどそのようなプログラムは枚挙にいとまがない。

 YOIの世界においてもユーリ・プリセツキーのショート、フリー両プログラムは間違いなくこれらと同様に記録と記憶に残っただろう。特に世界歴代最高得点を叩き出したショートプログラムについて今回は考えてみたい。

 

アガペーという主題

 ショートプログラムは勇利と対になる「愛について;アガペー

 このプログラムはアガペーというテーマゆえに非常に表現面の難易度が高い。エロスとアガペーは対にされているが、同じ愛であってもエロスに比べてアガペーは圧倒的に表現しにくいと思う。なぜならばエロスは人から人への愛であり、おそらくほとんどすべての人が人生で経験する愛である。それに比べてアガペーは、神から人への分け隔てない愛。それを表現するのは人間には、特に子も妻も持たず、両親からの愛すらも与えられてきたか分からないようなユーリのような子供には極めて困難だろう。

 こう考えるとヴィクトルがユーリにアガペーを振り付けたことは一見無理難題に思われる。ただしヴィクトルはユーリに対し恐らく同郷の有望な後輩として好意を持っており、わざと何の意図もなく無理難題を課すとは考えにくい。ヴィクトルが与えた難題には何らかの意図があったのだろう。

 加えて、そもそもヴィクトルがもともと自分の来期用に振り付けていたのはErosだった。にもかかわらずユーリが彼を追ってきて温泉on ice の開催が急遽決まった時に、彼は既に二パターンの編曲を準備していた。アガペーの振り付けとて、あの短期間で一から作り上げたとは考えづらい。すなわちヴィクトルはユーリとの振り付けの約束を忘れてはおらず、もともとユーリに与えるためのプログラムとしてアガペーを構想していたのではないだろうか。

 そしてこのプログラムには、欲が前面に出過ぎてヴィクトルの面影を追いすぎているユーリに対するヴィクトルからの処方箋という意味もあったように思われる。ただし幸か不幸かヴィクトルはヤコフのようなコーチではないし、かなり冷たいところもあるので、別にユーリが課題を乗り越えられず潰れても全く罪悪感も責任も感じそうにないのだが。 

 

自分だけの美しさの重要性

 YOI世界においては個性というものが非常に重視されている。例えばこの世界でのいわば勝利の神であるLiving Legendヴィクトルが何より重視しているのが観客に与える驚きである。またオタベックに対するチェレスティーノコーチの

「オリジナリティとは何を持って生まれるかだけではない。 19歳のオタベックが今証明しようとしている」

と言うセリフもこの世界においてオリジナリティを築き上げることがいかに重要かを物語っている。この世界線においてはコピーは何があってもオリジナルにかなわないのだ。しかし温泉on iceで初めてアガペーを滑った時点では、ユーリはヴィクトルの振り付けをただ滑るといったレベルに終始しており、自分だけの演技といったものには程遠かったように思われる。

 だからこそユーリは独自の強さや個性を獲得せねばならず、今シーズン始めの時点では、リリアから期限付きの美しさである「プリマ」を個性として提示された。私はこのリリアがユーリと初めて対面する場面が大好きだ。「魂 売ったくらいで勝てんなら、この体ごといくらでもあんたにくれてやるよ」と言うセリフ。背景に流れるシンプルな音楽。どれを取っても完成された場面だと思う。

 

f:id:rottenapple1:20180315103634j:plain

 

 しかしユーリはそのプリマを全うするだけでは終わらない。プリマとしての彼の演技の完成系は、GPFのショートでのアガペーだろう。ヴィクトルを超える世界最高記録118.56を叩き出した演技は、死んでも勝つという気合いを表すような片手、片手、両手!というタノの連続を含みつつも、あくまで美しくまさに氷上のプリマにふさわしい演技だった。しかし迎えたフリーで彼はプリマという個性をかなぐり捨てて演技する。表情も必死だし「 豚に食わせる金メダルはねえ!」ってモノローグなんてまさにその象徴。しかしその演技を見たリリアは「プリマからは遠ざかったけれど、あなただけの新しい美しさに進化したわね」と涙を見せる。これは単なるコーチの贔屓目ではない。美しい妖精のような容姿とプリマとなるための繊細な身体表現に、彼本来の苛烈さや鬼気迫る勝負への気迫が加わったもの。それが彼が一年間の苦難の旅の果てに獲得した新しい個性だったのだろう。

 

愛を探す人

 しかしすでに栄冠を手にしたとはいえユーリは若干15歳。彼の旅路はまだまだこれからだ。そしてその旅路は栄光の道であると共に、愛を探す道でもあるのだろう。リリアはショートプログラムの演技を控えて「人は自分を支える愛を探している時にこそ輝くのです。」と語った。ユーリは祖父、ヤコフ、リリア、ヴィクトル、オタベック、勇利など多くの人との出会いを通じて、愛の入り口に今ようやく立った。アガペーは惜しみなく与えられる神の愛。決して人が到達することは叶わないけど、限りなく近づくことはできるはずだ。そして未だ愛の入り口にいる15歳の彼にはここからまだ計り知れない伸び代がある。彼の本当に素晴らしい才能とそれを支える努力に賛辞を送りたい。